1700年代前半京都より江戸に下った豊後節が新内のルーツです。
暴れん坊将軍徳川吉宗の時代に常磐津、清元、富本などに分かれますが、その始めに独立しました。芝居に出ることがなく、お座敷浄瑠璃、街頭芸になりましたので、豊後三流の中には含まれませんが、豊後節の情念的な部分をもっとも強く継承しています。江戸庶民のもっとも愛好した音曲といえるでしょう。
普遍的な恋愛、男女の色恋、どうにもならない人生のしがらみといったものですね。
現代に至って、新内は新内流しにみられるような街頭芸から離れ、劇場新内へと変わります。これは時代の変化が新内にも及んできたということです。歌舞伎とともに歩んできた常磐津、清元とは、また違った形の浄瑠璃が新たに提案されていくでしょう。